支えあおうプロジェクトとは

小さな町だからこそ、できる支援を。

亀岡市の位置私たちの住むまち、京都府亀岡市の歴史は、水害との戦いの歴史でもあります。

毎年のように氾濫する保津川、1951年(昭和26年)7月には大雨でダムが決壊するという信じられないことが起こり、集落が根こそぎ流され99名もの死者・行方不明者を出すという惨劇に見舞われました。

そんな中で育まれてきた住民どうしの助け合いの精神は今もしっかり受け継がれ、亀岡市は日本で初めてWHO(世界保健機構)のセーフ・コミュニティの認証を受けました。

今回の東日本大震災と、その後の津波によって壊滅的な打撃を受けた東日本各地のまちの風景は、決して他人事とは思えません。

これまでにも亀岡市内のNPOや自治会などさまざまな団体や個人が、それぞれの形で支援を行ったり、義援金を募ったりしてこられました。そのような中、今後も中長期的に支援を継続するために、こうした取り組みをつなぐことで市民のみなさんにもっとわかりやすいような形で行っていこう 、と始まったのが「小さな町から小さな町へ 支えあおうプロジェクト」です。

大きな組織でもなく、資金も少なくても、災害と戦い続けてきた町だからこそ出来る気持ちのこもった支援を続けていきたい、私たちはそう願っています。

かゆいところに手が届く、地域のニーズに沿った支援を。

3月11日に発生した東日本大震災、避難生活を余儀なくされた人は10万人を超えています。家が無くなった方、家族が亡くなった方、仕事がなくなった方、そして、その全てを失った方・・・。

あの地震と津波がやってくる前と同じ生活が出来ている方がどれだけいるのでしょうか?

依然として避難所生活を続けている方もたくさんいらっしゃいます。家が残っていれば被災者ではないと思われがちですが、家があっても被災している方は沢山いらっしゃいます。運よく倒壊を免れた家で、ご近所、ご親戚が集まって「避難」されている方もたくさんいらっしゃいます。仮設住宅に入居できても、生活に必要な日用品が十分に揃っているわけではありません。

支援物資支援の手が十分に届かず、1世帯でおにぎり2個だけが配られる高齢者ばかりの集落もあります。町の自転車屋さんが、支援物資を各家庭に配達されている地区もあります。津波がまた襲ってきたときにいつでも逃げられるように、洋服のまま夜を過ごされている老人ホームもあります。

これらは、震災から3か月近くが経とうとしている、誇張でもなんでもない、今の状況です。

このプロジェクトは、亀岡市内の地区や団体ごとに支援する被災地を分担し、希望される支援物資を随時お届けしています。被災地では、各地域により状況は大きく異なり、支援を希望される物品もさまざまです。そこで地区ごとに双方、担当リーダーを決め、リーダーを中心に現地では個別家庭に「御用聞き」をして頂き、とりまとめたものを電話やメールにより、亀岡市内の担当リーダーに直接支援物資を要請し、亀岡市内の担当リーダーは「チーム亀岡」のネットワークを通じて、住民のみなさまから支援物資を提供いただき、現地に宅配便にて発送しています。

大量の物資は送り届けられないけれど、私たちはそんなみなさんから「御用聞き」をして、本当に必要な物資を個別にお届けしています。"小さな町"ならではのネットワークを活かして、市内の各自治会や企業、行政、NPOの連携により、特に十分に支援の行き届かない在宅避難者や仮設住宅へ入居をめざすみなさまの、細やかなニーズに沿った支援を重点的に行うことで生活再建に貢献できることを願っています。

呼びかけ人(50音順)

隅田 恵子 (NPO法人亀岡子育てネットワーク)
田中 美賀子(NPO法人亀岡子育てネットワーク)
原田 禎夫 (NPO法人 プロジェクト保津川)
藤田 修 (亀岡市篠町自治会町つくり推進会)
船越 隆文 (亀岡市篠町自治会町つくり推進会)

賛同者(50音順、公表の許可を得た方のみ記載しています)

坂本 信雄 (NPO法人プロジェクト保津川)
井内 邦典 (亀岡・セーフコミュニティ顧問)

「小さな町から 小さな町へ」支えあおうプロジェクト Team KAMEOKA

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